2008/05/25

フィレンツェからのモブログ24

フィレンツェからのモブログ24
フィレンツェへの一人旅は、これでひとまず幕を閉じる。

さまざまな美術館や教会などを訪れて、ルネッサンスを代表する名作・大作の数々を堪能することが出来た旅だった。

フィレンツェから興ったルネッサンスとは、何だったのか。あまりにも多彩で多様で、僕には理解出来たのかどうか分からない。

あえて言うならば、その多彩さと多様さこそが、ルネッサンスの本質であり、爆発的なパワーの源なのではないか、とも思う。

旅の終わりの写真は、僕が最も印象に残ったミケランジェロ後年の作品、ドゥオーモ付属美術館の「ピエタ」を掲載しておきたい。

ここには「神」は描かれているだろうか。無惨に首を曲げたキリストには、もう奇跡を起こす力もない。キリストの後ろの頭巾を被った老いた人物は、これがマリアなのだろうか。

ミケランジェロが失敗作として、途中で制作を放棄したというこの作品こそ、人間だれもが逃れられない老いと死、苦痛と悲嘆が、あますところなく表現されているように感じる。

フィレンツェからのモブログは、この24回をもってひとまず終わります。

今回のモブログは、123グラムのケータイ1本だけで、写真撮影、画像処理、文章作成、送信、掲載確認のすべてを行いました。使用した機種はソフトバンク・モバイルの920SHです。

最後に、僕の拙いイタリア語を懸命に理解しようと努め、いろいろと親切にしてくれたフィレンツェ、シエナ、ピサ、アレッツオのみなさんに深く感謝いたします。

再びこの地を訪れる日まで。
アリヴェデルチ!

BANYUU

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2008/05/24

フィレンツェからのモブログ23

フィレンツェからのモブログ23
フィレンツェの旅も、いよいよ今日一日を残すだけとなった。今日は朝のうち快晴だったが、昼過ぎから少し雲が出てきて、晴れたり曇ったりの天気だ。

今日はまだ見ていなかったヴェッキオ宮に行く。14世紀から16世紀にかけてフィレンツェ政庁舎がおかれていた歴史的な建造物だが、いまもフィレンツェの市庁舎として使われている。

とても広い建物で、2階には共和政時代に市民会議が開かれていた「五百人広間」が、訪れる人達を圧倒する。

この広間を挟んで両側には、壁から天井まで美術作品などで囲まれた、大小さまざまな多数の部屋があって、その大半は観光客に公開されている。

市庁舎で働く人達は、毎日、美術館の中で仕事をしているようなものだ。
正面玄関は、出入りする市職員たちと観光客とで、ごった返している。

1階の玄関広間のあたりに、騎士や楽士などルネッサンス期の姿をした男たちが並んだ。何が始まるのかと見ていると、ラッパが吹き鳴らされる中を、タキシードと純白ドレスのカップルが現れ、玄関付近にいた人々から拍手で迎えられた(写真)。

新婚のカップルかとも思ったが、親族や友人たちの姿もない。これは何かのセレモニーのために、正装で市庁舎を訪れたヴィップなのだろうか、などと想像してみたりする。

BANYUU

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フィレンツェからのモブログ22

フィレンツェからのモブログ22
フィレンツェの目抜き通りや広場には、さまざまな大道芸人やストリート・ミュージシャンたちがいて、観光客を楽しませてくれる。

今日は夕方、レプブリカ広場近くの道路で、路面そのものに、じかにクレヨンのような多色の画材を使って、人の顔などのアートを一心不乱に描き続けている若い男たちが三人いた。

美術学校の学生なのか、修行中のアーティストなのか分からないが、なかなかの腕前だ。投げ銭入れの籠が置いてあるところをみると、無償のパフォーマンスではなく、これで生活費を稼いでいるらしい。

道路管理者の許可が必要なのかとか、描いた絵はそのままにして行くのだろうか、などと余計な詮索は無用だろう。これもまたフィレンツェの風景の一部として、楽しませてもらったお礼に、僕も僅かではあるが1ユーロを投げ銭してきた。

BANYUU

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2008/05/23

フィレンツェからのモブログ21

フィレンツェからのモブログ21
フィレンツェからのモブログ21
フィレンツェ滞在も残り少なくなってきた。今日は朝から素晴らしい快晴だ。

ドゥオーモ付属美術館に行った後、シニョリーア広場を通りかかったら、ヴェッキオ宮の前に大きく柵で囲いが出来ていて、囲われた真ん中の石畳の上に、立派な花束が置かれている。

もしかして今日は、と思い当たってガイドブックを開いて見ると、やっぱりそうだったのだ。
今日5月23日は、ルネッサンスの昂揚と栄華の歴史の中、500年以上も昔に、この広場のこの場所で、市民たちによって処刑され、火で焼かれたサヴォナローラの命日なのだ。

サヴォナローラは、ドメニコ派の修道士で、ルネッサンス期の繁栄の中で、享楽的な生活に浸って信心が薄れていたフィレンツェの人々の風潮を、厳しく糾弾し続けた。

戦乱の中で人心が動揺する中、サヴォナローラは市民の支持を得て、宗教を柱とした国家づくりにとりかかり、市民には禁欲的で質素な生活を強いた。

しかし、サヴォナローラの行き過ぎた改革は、しだいに市民の離反を招き、こんどは一転して市民たちの手によって捕えられて、絞首刑にされて火あぶりにされた。

サヴォナローラの改革については見直す機運にあるといい、今でもフィレンツェ市民たちは命日に、この広場に花束を捧げている。

僕は、広場の花束を見ることが出来ただけでもラッキーと思っていたら、やがて楽隊の演奏とともに15世紀風の衣装をまとった男女たちの行列が、しずしずと行進しながら広場に入ってきた。

広場に一行が整列すると、サヴォナローラを偲ぶ盛大なセレモニーが始まった。市長の挨拶、女性歌手によるシューベルトのアヴェ・マリアの独唱、聖歌のコーラス。思いがけないイベントに、観光客は大喜びだ。

僕も、1年に1度のこのようなセレモニーに出会うとは思ってもいなかっただけに、実にラッキーでハッピーだった。

写真は、サヴォナローラを偲ぶセレモニーと、捧げられた花束

BANYUU

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フィレンツェからのモブログ20

フィレンツェからのモブログ20
今回のフィレンツェ旅行中に、列車に乗って周辺の都市まで足を延ばしたのは、シエナ、ピサに続いて、今日のアレッツォが3回目になる。

僕は、地下鉄は別にしてヨーロッパの鉄道に一人で乗り降りしたのは、実のところ今回が初めてだ。

それまでは、鉄道の旅は難しいような気がして、ちゃんと乗って帰ってくることが出来るだろうかと、不安があったが、案ずるより産むが易しで、何事も経験してみるのが一番だ。

日本と最も異なるのは、どの駅にも改札口がないことで、だれでも自由にホームに出入り出来るし、発車前なら車両の中に立ち入ることも可能だ。

車内検札は、来る時も来ない時もあったが、検札が来た時に乗車券を持ってなかったり、日時を刻印してなかったりすると、目の玉が飛び出るくらい高額な罰金を払わなければならず、言い訳は通用しないというから、悪いことは出来ない。

このほかの点では、今回延べ6本の列車に乗っただけの経験から言えることは、ホームのアナウンスや発車ベルはまったくなく、次の停車駅を知らせる車内放送すらない。乗るも降りるも、すべて自分の責任ということが、徹底しているようだ。

写真は、僕がアレッツォから乗ってフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に着いたばかりの列車。このあとは折り返しでローマ行きとなった。

BANYUU

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2008/05/22

フィレンツェからのモブログ19・アレッツォ編

フィレンツェからのモブログ19・アレッツォ編
アレッツォでは、サン・フランチェスコ教会前のカフェでランチ。ハムとチーズを挟んだクロワッサンとカプチーノを頼んで、表のテラス席へ運んでもらう(写真)。

これで7ユーロは、日本円で1200円くらいか。頼んだわけでもなく、コント(計算書き)にも書かれていないが、クッキーが5個もお皿に盛られて出てきて、なんとなく得をした気分だ。カプチーノの「おつまみ」にしては気前がいい。

この写真と記事は、フィレンツェに戻る列車の車内からモブログで送信してみる。走る列車から、うまく日本に送れるかどうか。

BANYUU

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フィレンツェからのモブログ18・アレッツォ編

フィレンツェからのモブログ18・アレッツォ編
アレッツォは、小さな曲がりくねった小道が複雑に交差していて、地図を手にしていてもすぐに迷ってしまう。迷っても狭い町なので、また元の場所に出たりして、うろうろするだけで、いろいろな建物に出会う。

写真の建物は、トスカーナ大公国の統治跡ということで、壁面にはさまざまな模様とともに、メディチ家の紋章も残っている。

この町での僕の目的の一つが、サン・フランチェスコ教会の後陣内部に描かれているピエロ・デッラ・フランチェスカ作の連作、「聖十字架の伝説」を見ること。

狭い場所なので、見学は一回25人分ずつに制限されていて、シーズン中はなかなかチケットが買いにくいという。僕は日本でネット予約をして行ったので、すぐにチケットをもらうことが出来た。

僕が予約した回は、観光客も少なく、これなら予約の必要もなかったかと思ったら、なんと小学生の社会科見学のような20人ほどのグループが一緒で、やはり予約しておいて正解だった。

BANYUU

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フィレンツェからのモブログ17・アレッツォ編

フィレンツェからのモブログ17・アレッツォ編
フィレンツェは朝から僅かな霧雨だ。傘を差すほどでもないので、そのままサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に行き、列車に乗って約1時間でアレッツォの町にやってきた。

ラッキーなことに、アレッツォに着いたら、雲の切れ目から日が射してきた。

アレッツォは、フィレンツェやシエナに次ぐルネッサンスの古都で、駅から15分も歩くと、町の中心部である「グランデ広場」に着く。

シエナのカンポ広場と同じように、緩い傾斜になっている広場だ(写真)。右に見える建物は、この町が生んだ万能の芸術家ヴァザーリが設計した「ロッジアの宮殿」。

広場の南端は、改修の土木工事中で、工事の車両が広場を行き交っている。圧搾機の音も絶え間無く響いていて、ルネッサンスの雰囲気もあったものでないが、こればかりは仕方がない。

いま撮ったばかりのこの写真を付けて、「グランデ広場」の真ん中から、日本にモブログで送信する。

BANYUU

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フィレンツェからのモブログ16

フィレンツェからのモブログ16
国立博物館から細い裏道を伝って行くと、いきなり大きな広場に出る。目の前に堂々とそびえ立つのがサンタ・クローチェ教会で、内部は荘厳なフレスコ画や彫刻がたくさんあって、どこから見たらいいのか、しばし迷ってしまう。

ここは美術作品もさることながら、イタリアの歴史を飾る名士たちの墓が、礼拝堂前の屋内に並んでいるのが興味深い。

ざっと見ただけでも、ミケランジェロ、ロッシーニ、マキャベリらの豪華で立派な墓が目にとまる。

内部はフラッシュ禁止だが、撮影はOKなのが有り難い。写真は、ガリレオ・ガリレイの墓。ちょうどミケランジェロの墓と向かい合う位置に置かれているのが、科学と芸術を代表する両巨頭にふさわしい。

BANYUU

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フィレンツェからのモブログ15

フィレンツェからのモブログ15
フィレンツェは朝から快晴だ。今日は、シニョリーア広場の裏手というか北東側の地域を、歩いてみる。

バルジェッロ国立博物館があるというので訪ねてみたら、あまりにも小さな入口でびっくりしたが、入ってみると、こんどは中の広さと、展示作品の多彩な充実ぶりに感嘆する。

中でも素晴らしいと思ったのは、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の北側の扉を作るにあたって、1401年に行われたコンクールに、ルネッサンス初期のライバル同士だったギベルティとブルネッレスキが、持てる全ての力を注いで作った応募作品が、いまも完全な姿で並べられて展示されていることだ。

コンクールにはギベルティが勝ち、失意のブルネッレスキは彫刻の道を捨てて、後に前人未踏のドゥオーモの巨大クーポラを作り上げる。

二人の天才の運命を分けた15世紀開幕の年の応募作品を、600年以上も後世の僕たちが見ることが出来るのは、本当に不思議な気持ちがする。

この博物館の、もう一つの重要作品はドナテッロ作のブロンズ像「ダビデ」だが、これがなんと本来の展示室の真ん中を四角い柵で囲って、入館者たちが見れる形で、公開の修復作業中なのだ。

ドナテッロの「ダビデ」像は、作業スペース内の手術台のようなところに俯せに置かれ、回りにはレーザー光線やX線による分析装置や、さまざまな薬品類などがあって、修復の緊張感が伝わってくる。現在までに済ませた修復作業の様子も、ビデオで映し出されている。

はるばると遠方から美術館に来ても、人気作品が修復中だとがっかりするが、こうした公開修復は美術作品の維持・保存の現場を多くの人達に知ってもらう意味でも、大変有意義な試みだと感じ入った。

この国立博物館は、内部が写真撮影禁止なので、中庭に面したロッジアに展示されている彫刻群を撮ったものを掲載した。

BANYUU

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