2014/06/15

6.15と樺美智子さん 1960年-2014年

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樺美智子さんの死に、われらはいかに応へ来たるや。(写真の、仰向けに抱へられたる女子学生の右側、こちら向きの女子学生に左腕を持ち上げられたる格好にて倒れたるが樺さんなり。この時すでに息絶へたるとぞ)

岸首相から、孫の安倍首相へ。

状況はまさに危機的なり。憲法9条は、風前の灯火なるぞかし。

戦争をせむと勇む日本の指導者、他国の兵士や民間人を殺傷しに出向かさるる自衛隊。

自衛隊員に死者いでたらば、英霊として祭り上げ、さらなる戦線拡大へと突き進むこと、日の目を見るが如し。

志願者の激減する自衛隊に替はりて、国防の義務の叫ばるる中、ほどなく徴兵制の敷かるること必定ならむ。

平成の赤紙の来たる日、遠くはあるまじとこそ。


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60年安保の6・15から半世紀、樺美智子さん忘るまじ(2010年6月15日)

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2010/06/12

60年安保の6・15から半世紀、樺美智子さん忘るまじ

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戦後日本の原点は、8・15なりしや。さなりと云ふ者少なからず居れど、おほかたの日本人にとりては、かの6・15こそ、今日の状況に脈々と続きなしたる原点ならめ。

60年安保から50周年を迎へたる今年は、6・15の惨劇にて22歳の命を落としたりける樺美智子さんの、50周年の命日なるぞかし。

今日の我が国の抱へたる諸問題は、その根源たどりなば安保条約にゆき着くこと必定なり。

鳩山政権崩壊のきっかけとなりたる普天間問題も、そは日米安保の抱えたる矛盾にほかならず。

Anpo004a60年安保の50周年にあたりて、かの日、国会構内にて機動隊との激突の中、夭折したりける樺美智子さんを追悼せむとて、当時の様子なむ、ここにささやかに書きてみむとす。

昭和35年6月15日。この日は、私鉄の時限ストを中心とせる静かなる全国統一行動となるべく、おほかたは夕刻以降の大惨劇を予想だにする者のなかりける。

はつかに報道陣の中に、この日の警官の武装の、いつにもまして様子異なるに気付き、「あやしのことかな。何ごとの起こるにや」といぶかる声ありけるとぞ。

午後4時ころなりけるにや。全学連主流派のおよそ7000人の学生たち、国会南通用門に集ひたるに、「いざいざ、国会構内に入りて抗議集会を開かむ」とリーダーなむ呼びかけたりける。

学生たちの、南通用門扉激しくゆすりつづけたれば、やがて扉の開かれたりて、門柱からはずれ落ちぬ。

内側に警官側のトラック並べられたるが、学生らは綱をかけて車体動かさむとせり。

別の学生たちは、有刺鉄線の柵を切り破り、警官に投石すなどして、殺気立ちたる空気流れ始めたり。

警官側、構内の消火栓からホース引きて、学生たちへの放水ぞ開始せる。

塞ぎたりけるトラックの引き出されたれば、構内への行く手開きたりて、学生たち構内に足踏み入れたりけり。

Anpo003aこは午後7時5分ころなる。

警官隊、一瞬、後に引きたりて、不気味なる静けさの、なでか不穏なるもの漂ひたりけり。

その時のことなむ。方面警察隊の後方に待機したりける第四機動隊の警官たち、異様なる叫びあげたりて警棒振りかざし、学生たちに向かひて突き進みたるは。

南通用門入口付近は大混乱に陥り、学生たちの崩れるやうにして押し返され、あちこちから悲鳴上がりて、修羅場となりぬ。

樺美智子さんの、隊列の先頭付近に居りけるが、機動隊の襲撃と後から押して来たりける学生との板ばさみとなりて、倒れたるところを、踏み潰されたるとぞ。

この時の警官の襲撃のすさまじさ、げに語るところを知らず。

警棒は薪を叩き割るやうに学生たちの頭や肩につぎつぎと振り落とされ、学生たちは棒切れや投石にて抵抗せしに、長くは続かざりけり。

学生たちの頭から血を流して倒れたるを、警官たち2、3人がかりにて引きずりて行きたり。

逃げまどふ女子学生の後からも、容赦なく警棒の襲ひかかりたるを。

血みどろになりて倒れたる学生に、警官たち片端から手錠ぞかけたる。学生たち、いつたんは構外に押し出されたり。

この中を、女子学生の死にたりけることの、伝へられたりければ、学生たちの憤り、ひときは高ぶりて、再び構内に入り始めたり。

午後8時半ごろなりけむ。社会党議員団の仲介によりて、構内にて異例の抗議集会ぞ開かれたる。

集会後、退去させむとする警官と、正面に向かはむとする学生との間にて、さらなる激しい衝突となりぬ。多くの学生たちの血だらけになりて、参院議員面会所地下に連行されゆけり。

かけつけた救護班やマスコミの記者、カメラマンらも、警官たちの壁になむ阻まれて、え近寄ること能はざる。

通用門わきの路上には、負傷せるも連行免れたる学生たちの、屍の如く累々と横たはれり。

通りがかりの車や、報道陣の車の中には、こを見かねたりて負傷せる学生たちを、病院に運びゆきけるとぞ。

時計の針は、かくするうちにも午前0時を回りて、日本で最も長かりける6・15は、怒りと悲しみのうちに終わりぬ。

我ら、この日ありける出来事と、樺美智子さんのこと、ゆめゆめ忘るべからず。

(一番上の写真、仰向けに抱へられたる女子学生の右側、こちら向きの女子学生に左腕を持ち上げられたる格好にて倒れたるが樺さんなり。この時すでに息絶へたるとぞ。三番目の写真なむ、翌6月16日、国会南通用門前に設けられたる祭壇前にて、樺さんを悼むあまたの人たち)


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2010/03/12

三菱vs住友、新宿再開発の陣 3カ月経ちて今は

100312c新宿の西端、青梅街道の北側にて、三菱地所と住友不動産の両雄相撃つ熾烈な再開発合戦のことをば、去年12月8日に記せり。

余はそののちも、をりに触れてこの辺をありき続けおるに、三菱地所の当初大きく出遅れたる感ありけるが、猛追目覚しく、やうやうにして、両者互角の戦いとなりたるとぞ見ゆる。

3月に入りてからは、建設の中核担へる大型クレーンどもの、おのおの自力にて天に向かひて進捗を続け、大枠の鉄骨なむ、日増しに高くなりゆける。

建設工事の様は、余のベランダからも望めるやうになりて、中央線の車窓などからも、両軍のクレーンの林立せる景色、さやかに望むこと能ふ。

100312a写真は、上が去年12月の様なりて、下が同じ位置よりけふ撮影せる工事の様なり。

左が三菱地所、右が住友不動産なるぞかし。

三菱地所軍勢の建設担ふは鹿島建設、住友不動産軍勢の建設は大成建設と鴻池建設の共同体なりて、こはゼネコンの戦にてもあるは、いみじう興あることかな。

新宿新都心地域の超高層ビル、いまはあまた建ち並びたるといへども、かやうに近う向かひ合ひて、同時に建設の進みたりけるはこれまで例のなかりしことなり。

この再開発合戦の一大景観を呈するは、新宿の変貌の象徴とぞ覚ゆる。

竣工予定は、三菱軍勢が来年の6月30日、住友軍勢が同じく来年の8月30日なるてふに、このあたり一帯の新たなる都市とて生まれ変はるらむこそ、待ち遠しけれ。

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2010/02/25

さくらや新宿東口駅前店、本日閉店す

100225a新宿駅東口の駅前にて、街のシンボル的存在たり続けたる「さくらや新宿東口駅前店」、本日夕刻、60余年の歴史に終止符打ちて、閉店せり。

この店舗の、JR東口の駅前広場に面して立てるは、ヨドバシカメラと隣り合はせのライバル店同士にてありけり。

たがひに相手の店を「よっちゃん」「さっちゃん」と呼び交はし、にぎにぎしく安売り合戦ぞ繰り広げたりけるも今は昔なる。

栄枯盛衰は世の習ひとは言へ、家電量販店の新宿戦争、近年とみに激化の一途を辿りたるに、ビックカメラ、ヤマダ電機らの攻めぎに晒されて、さくらやのあへなく陥落したるを。

余は何十年もの間、この店になにかと世話になりたりけるに、感慨ひとしほなり。いまのケータイもここにてなむ求めたりける。

「安さ爆発カメラのさくらや」のCMの、いまとなりては懐かしきかな。

さくらやは、今月末には全店舗を閉店し、従業員は全員解雇さるるとぞ。

本日閉店したる新宿東口駅前店は、間髪入るいとまもあらずして、疾くビックカメラの新店舗に変はるらし。

げに、世の中はなにか常なる飛鳥川きのふの渕ぞけふは瀬になる、とはこのことなりけり。

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2009/12/08

初進出の三菱迎へ撃つ住友、新宿冬の陣

091208

新宿の西の端、青梅街道の北側にては目下、壮絶なる再開発合戦の真盛りなり。

広大なる空間の、旧き木造アパート群などを取り壊したる跡地にては、ちさき道路を挟みて西に三菱地所の軍勢(写真左半分)、東に住友不動産の軍勢(写真右半分)が、ともに一歩も譲らぬ形勢にて、それぞれに超高層ビルの建設目指して邁進せり。

写真は、こを青梅街道の南側から望みて撮りたる図なるが、あたかも、双方の軍勢の長槍を構へて向き合ふがごとき形にぞなりたる。

こなた三菱の軍勢は、高さ166メートルの35階建てを、片や住友の軍勢は高さ198メートルの40階建てを、それぞれメーンに据えて、住宅棟なんどと併せて新たなタウンの創出を目指すなるとぞ。

両軍ともに、着工せしは去年の11月1日と、号砲は同時に鳴れり。

はじめのうち、リードせるやに見へたるは三菱軍勢にて、さくさくと地下部分の掘削を進めたり。

住友軍勢の立ち上がりは、もたつくやうに見へたるが、こは敵を油断させむとの作戦なりけるや。

今年の夏過ぎぬるあたりから、住友軍勢、恐るべき進捗をもちて地下部分の工事を完了させ、早々と地上部分の骨格作りに取り掛かれり。

このごろは、超高層建築のための2基の巨大クレーン、フルに稼動して、日に日に地上部分の鉄骨高まりてゆけり。

一方の三菱軍勢は、いまだに小さきクレーン立てるのみにて、地下部分の整備に手間取りたる様子なり。鉄骨の地上に現はるる気配、さらにあらず。

住友不動産は本社を新宿に構へ、すでに3棟の超高層ビルを含むあまたのビルを新宿に擁するなれば、住友の新宿と云ふプライド持つらむ。

三菱地所は丸の内が本陣にして、初めての新宿進出なれば、不慣れなるところあるにや。

いまのところ新宿冬の陣は、住友軍勢の大きく三菱軍勢を引き離したるとぞ見ゆる。

竣工予定日は、住友軍勢が再来年の8月30日、三菱軍勢が同じく再来年の6月30日なり。

遅れているやに見ゆる三菱軍勢、はたして再逆転を遂げて予定通りに竣工することのなし得るや。

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2009/11/14

ショップ99がローソン100に早変はりせり

0911141けふは土曜日なりとて、新聞折込のチラシ、すこぶる多し。

おおかたは新築マンションなど不動産関連なるが、中に「ローソンストア100北新宿店 11/14オープン」と書かれたるチラシあり。

いずこに開店せるやと、チラシに書かれたる地図見れば、あろうことか、こは余の膝元も膝元、まこと真下の店舗に他ならず。

昨日までショップ99なりける店の、一夜にして看板架け変はりて、ローソン100にぞ変身しける(写真)。

店中に入りて見回せば、照明などまばゆく付け替へられ、商品の並べ方もさまざまに新たになりたるが、基本的には昨日までありける店の延長と見ゆ。

顕著なる相違は、店名示すやうに、99円の品々の消費税込み104円なりけるが、なべて1円上がりて税込み105円に変わりたることなり。

ネットでしたたむるに、99円均一を売り物とせるショップ99チェーンは、ローソンの早くより食指を伸ばしたりけるが、去年TOB成立なりて連結子会社と為しけるとぞ。

地元民にとりては、良き品々を廉価にて提供すなれば、店名はいずれにても構はぬことなり。

先月6日には、この真向かひに新たなるスーパー「オリンピック」開店して連日賑ひたり。

オリンピックとローソン100とは、品揃へも価格帯も異なれば、競合の果てに共倒れすなる恐れはよもあらざるべし。

これらのショップの末長く共存共栄を為し行かば、余の老後はすこぶる便利の様にして、いかでか安泰ならざらんや。

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2009/10/06

家の近くに新たなるスーパー開店せり

091006余が家の至近距離にて、けふ新たなるスーパー「オリンピック」北新宿店オープンせり。

この土地には、三年前まで東京黒潮市場なる食品マーケットありけるが、一キロほど離れた地に移転しけり。その後、三月ほどにて廃業しけるとぞ聞こえし。

黒潮市場退きし跡地には、六階建てなるマンション建つべう計画ありとて、ひとたびは近隣一帯に図面まで配布せられけるを、なにゆえにやあらん、白紙となりぬ。

その後、跡地は駐車場となりけるが、今年五月初めに、スーパー建てなむとて地鎮祭執り行ひて、ひたぶるに工事続けられたり。

けふは、客らの黒潮市場なき後せんかたなしに近隣のスーパーに散らばりおりしが、待ちかねたるやふにどっと押しかけたり。

オープン初日なれば、余も偵察を兼ねて二度も訪れ見つ。

食品の品揃えすこぶる良し。値段も高からず買ひ求め易し。

こがスーパーこそ、直下型地震なんど大災害あらむ折には、たのもしき命綱なるべけれと、余はいまから大いに当てにし居るなり。

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2008/07/15

256年目の金塚地蔵、移転ならず撤去処分へ

080715a2宝暦2年(1752年)につくられたと伝えられる北新宿の金塚地蔵が、道路拡幅によってその座を追われることになり、いったんは近くの寺の境内に移転することでまとまりかけていたが、一転して移転話はご破算となり、今月24日の地蔵盆を最後に撤去されて処分されることになった。

新宿区の史跡・名所としてガイドブックなどにも掲載され、地元の人たちはもとより、禁煙に効くお地蔵さんとして多くの信仰を集めてきた金塚地蔵が、行き場が見つからないまま廃棄処分という最悪の最後を迎えることになったことで、もっと早い段階で保存策を取れなかったのかと、惜しむ声が上がっている。

080715b2地蔵堂は、大久保通りと小滝橋通りとの交差点の角に、金物屋の壁に組み込まれる形でひっそりと建っている。

堂の中には、庚申塔や地蔵など5つの石造物が並んでいて、そのうちの最も背の高い地蔵が金塚地蔵で、このお地蔵様が煙草を嫌いにしてくれるとされている。

金塚地蔵はもとは、現在地より南にあった百八塚の一つ、中野長者が建てた金塚の脇に建っていたが、塚が崩されたため、明治20年(1887年)に今の場所に移されたという。

東京都の道路拡幅計画によって、地蔵堂を組み込んでいた金物屋がさきごろ、80年余の歴史に幕を下ろして閉店し、金塚地蔵の扱いが注目されていた。

080715c2このお地蔵さまが、道路拡幅によって立ち退きのピンチに立たされているという話は、05年5月23日のこのブログで、僕がキャッチしたばかりの完全独占スクープとして記事にした。

その後、今年4月18日のこのブログで、お地蔵さまの移転先が、現在の場所から400メートルほど北北西にあるお寺の境内に引っ越すことになった、という記事をやはり独占スクープとして書いたのだが、移転話は難航したらしい。

このほど堂のわきに、「地蔵堂崇敬の皆様へ」という告知が張り出され、存続の道もさぐったが7月24日の地蔵盆の供養を最後に、「除却」することになった、と知らせている。

道端のお地蔵様は、文化財の専門家たちから見れば、保存価値のない単なる石ころかも知れないが、金塚地蔵は作られてから256年、今の場所に移ってからでも121年の歴史があり、その間、無名の庶民たちのささやかな信仰を集め続けてきたという事実は決して軽くないはずだ。

そのお地蔵さまを、どこか近くに移転して保存させることすら出来ない都の道路拡幅とは、いったい何なのだろうと思う。道路とは、そんなに何ものにも優先されるべきものなのだろうか。

まさに道路本位制のニッポンを見せつけられた思いであり、そこのけそこのけ道路が通る、の典型的な図である。

供養をしてから「除却」するからいい、というものでもないだろう。「除却」とは苦し紛れの表現だが、とどのつまりはお地蔵さまを廃棄処分にするということなのだ。

効率優先、開発優先の驕りと思いあがり。なんとバチ当たりなことだろうか。

あな恐ろしや。地蔵堂をこわした後で、この地に悪いことが起こらなければいいがのう。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

【注】この記事には続報があります。
   08年7月23日付け
   08年7月24日付け
   08年7月26日付け
   09年7月29日付け
   10年7月23日付け

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2008/04/18

禁煙に効く地蔵、道路拡幅で121年の座を追われる

080418image144_3お参りすれば煙草が嫌いになり、禁煙することが出来る、と信仰を集めている北新宿の金塚地蔵が、都市計画による道路拡幅の波を受けて、100年以上も住み慣れた場所を明け渡すことになった。

地蔵堂は、大久保通りと小滝橋通りとの交差点の角に、金物屋の壁に組み込まれる形でひっそりと建っている。

堂の中には、庚申塔や地蔵など5つの石造物が並んでいて、そのうちの右から2番目の地蔵が金塚地蔵で、このお地蔵様が煙草を嫌いにしてくれるとされている。

写真では、一番右は隠れてほとんど見えていないが、その隣の布が上の庇まであって頭が隠れているノッポのお地蔵さまがそれで、宝暦2年(1752年)につくられたという。

このお地蔵さまが、都市計画による拡幅で一帯の建物が軒並み取り壊しとなり、立ち退かされることになった、という話は、05年5月23日のこのブログで、僕がキャッチしたばかりの「完全独占スクープ」として記事にしたが、それから3年が経過して、立ち退きが現実の日程に上がってきた。

地蔵堂を壁に組み込んでいた金物屋さんが、今月いっぱいで閉店することになり、それに伴って近々、建物の取り壊しが行なわれることになったのだ。

金塚地蔵はもとは、現在地より南にあった百八塚の一つ、中野長者が建てた金塚の脇に建っていたが、塚が崩されたため、明治20年(1887年)に今の場所に移されたという。

これも、僕のブログの完全独占スクープなのだが、お地蔵様たちは121年間住み慣れたこの地を離れて、400メートルほど北北西にある円照寺というお寺の境内に引っ越すことになった。

その円照寺は、奈良長谷寺を総本山とする真言宗豊山派の寺院で、創建は醍醐天皇の御世の10世紀初頭とされている。

金塚地蔵の左の石柱は、もともと円照寺への参拝者の案内として建てられたた道標石で、宝永元年(1704年)に作られたものという。

ちなみに、写真家の篠山紀信は、この円照寺の住職の次男で、淀橋第四小学校の出身である。

また、このすぐ近くには円照寺の鬼門鎮護の神祀として創建された鎧神社があり、地域一帯の鎮守の社となっている。円照寺は鎧神社の別当寺という関係にある。

金塚地蔵が移転する時には、円照寺や鎧神社など地元の神社仏閣を挙げての、盛大な遷座式が行なわれるのだうか。

それとも、静かに遷座の法要を営んで、ひっそりと移っていくのだろうか。

【注】この記事には続報があります。
   08年7月15日付け
   08年7月23日付け
   08年7月24日付け
   08年7月26日付け
   09年7月29日付け
   10年7月23日付け

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2006/12/25

朝日新聞号外で振り返る2006年

2006年も残すところ1週間。今年はみなさんにとってどんな年でしたか。

僕は年明けて間もない1月23日のホリエモン逮捕をきっかけに、忽然として号外マニアとしての道に目覚め、今年は大きな出来事があるたびに、号外を逃さないように手を尽くしてきました。

ここでは、今年僕が集めた主な号外とともに2006年を回顧してみましょう。日付は号外の発行された日付です。

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1月23日 ホリエモン逮捕の衝撃ニュースが世界をかけめぐる。ライブドア株を買って値上がりを夢見ていた多くの個人投資家たちは、どん底に。

2月7日 秋篠宮妃紀子さま第3子をご懐妊。もしや男児だったら、の期待が広がり、皇室典範改正の動きは一気にしぼむ。

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2月24日 トリノ冬季五輪で大惨敗となった日本選手団の中で、燦然と輝いた荒川静香選手の金メダル。日本中にトゥーランドットのメロディーが流れ、イナバウアーのマネをして後ろに転倒する人たちが後を断たなかったとか。

3月21日 WBCで王ジャパンが苦戦を乗り越え、準決勝で韓国を、決勝でキューバを破って初代の世界一に。燃えるイチロー選手にシビレました。

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6月5日 村上ファンドの村上世彰代表逮捕。「お金もうけ、悪いことですか」の言葉が、耳に焼き付いています。

8月21日 夏の甲子園は37年ぶりの決勝再試合に。優勝した早実のハンカチ王子に日本中がフィーバー。駒大苫小牧の田中クンも素晴らしかったなあ。プロの世界で二人が対決する日が待ち遠しい。

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9月6日 紀子さまが皇室41年ぶりの男児出産。悠仁天皇が誕生するのは、今世紀の半ばころか。雅子さまの心境やいかに。

10月9日 北朝鮮が核実験を発表。翌10日は新聞休刊日で朝刊がないため、朝日は2日続けて号外発行。北に振り回された1年でもありました。

来年2007年はどんな号外が発行されることでしょうか。

ではどなたさまも、よいお年をお迎え下さい。

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