2007/05/20

宵の西空に寄り添う三日月と金星

070520_22021_1すっきりと晴れ渡った宵の西空に、三日月と金星が寄り添うように並んで、ひときわ輝きを増していた。

これを、まずはケータイで写真に収める。

地平線をはさむ地上の光景は入るものの、かんじんの三日月が小さすぎて、形がはっきりとは写らない。

そこで、デジカメでズームにして、こんどは地上の光景抜きで、三日月と金星だけをアップで写してみる。

あいにくとデジカメが充電切れになっていて、とりあえず充電しているうちに、日はとっぷりと暮れて暗くなった。

070520_1922222それでもなんとか月が沈む前に間に合って、三日月らしい姿が撮れた。

天文年鑑を見ると、三日月と金星が最も接近する形になったのは今日の午前10時12分とあるが、月は東の地平線からようやく昇ったあたりで、明るいために見えなかったのではないかと想像する。

ということは、やはり今日の日没直後に見るのが最適で、月が少し東側に移動しているとはいえ、かなりの接近度で迫力がある。

次にこのような光景となるのは、1カ月後の6月18日で、この時には金星が9日に光度マイナス4.3等という明るさで太陽から最も東に離れた(東方最大離角)直後だけに、さぞや見ごたえのある宵空となるであろう。

ただ心配は、そのころは梅雨に入っていて、晴れるかどうかは心もとない。

ちなみに、金星は太陽の周りを225日かけて一周しているが、地球も金星の後を追いかける形で太陽を回っているため、地球と金星の相対的な位置関係はほぼ1年7カ月という周期で繰り返される。

前回、宵の明星として西の空に輝いたのは、05年の晩秋から暮れにかけてで、僕のブログではその年の11月8日と、12月5日に月と金星のランデブーとして、写真とともに書いている。

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2006/12/11

天文年鑑からようやく神武紀元が消えた

061211_1540_1毎年、黄色くなったイチョウの葉が寒風に散って、歩道に散乱する時期になると、僕は新しい年の天文年鑑を買わなければ、と思い出す。

今年は、秋が暖かかったためにイチョウの黄葉がいつもより遅く、僕が天文年鑑のことを思い出したのは、12月も10日になってからだった。

新しく買ってきた2007年版の天文年鑑をパラパラとめくって見て、一つの重大な「異変」があることに気づいた。

それは‥

天文年鑑の冒頭には、「展望」と題するページがあって、新しい年が暦の上でどういう年であるかについての記述があり、その1年の間に起こる主な天体イベントなどを紹介している。

その展望の書き出しにはこれまで恒例のように、西暦年数と干支、平成の年数、日本紀元による年数、さらに明治・大正・昭和の年号を通算した数字が書かれていた。

例えば、21世紀最初の天文年鑑である2001年版では、「2001年の年の干支は、辛巳(かのとみ)であり、平成13年、日本紀元2661年、明治134年、大正90年、昭和76年にあたり、平年である」というぐあいだ。

ここで、物議をかもしてきたのが日本紀元を書くことの是非である。

科学書である天文年鑑が、神話上の存在である神武天皇の即位から始まる日本紀元を、毎年のように冒頭に表記することは、妥当なのだろうか、という疑問が当然出てくる。

こうした批判があることを編集側でも十分意識していたようで、2004年の天文年鑑では、この箇所に続けて、「ここで、神武紀元年数という反動的な文言を嫌う向きもあるが」として、現行のグレゴリオ暦の根拠となっているのは明治5年の詔勅であることを説明。日本紀元を書く必要があることを強調している。

2005年の天文年鑑も、前年と同じ釈明文が書かれているが、2006年版になると、「日本紀元」という遠慮がちな言い方をやめて、ストレートに「神武天皇即位紀元」と表記し、その理由については次のように強い調子で言い切っている。

「西暦2006年は平成18年で、明治139年、大正95年、昭和81年にあたる。神武天皇即位紀元では2666年になる。神武紀元という非科学的なものを科学書に載せることに批判の声もあるが、どの年が閏年になるかを定める勅令(明治31年勅令第90号)が神武天皇即位紀元数を基準にしているため、この年数が分からないと法的には今年が平年か閏年かを判断できないのである」

神武天皇即位紀元が分からなければ閏年かどうかが判断できない、という詭弁とも思える論法については、僕の去年11月26日のこのブログで書いているので、今回は詳しくは触れない。

2006年版のこの記述について、どのような反響が寄せられたのかは知るすべもないが、昨日買ってきた2007年版の「展望」では、創刊以来、半世紀以上に渡って書いていた「日本紀元」も2006年版の「神武天皇即位紀元」も、姿を消している。

それとともに、明治・大正・昭和からの通算元号もきれいさっぱり消えてしまって、このくだりは次のような超シンプルな記述になった。

「西暦2007年(平成19年)は平年で、年の干支は丁亥(ひのとい、ていがい)である」

これで十分ではないか。なぜ今まで1949年の創刊以来、神武紀元にこだわり続けてきたのか、むしろ不思議な気がする。

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2006/08/25

冥王星人の天文学総会が地球を惑星から外す

冥王星人の天文学者たちの間では、ここ数ヶ月、太陽から3番目の軌道を回る「地球」を、惑星から外すべきかどうかについて、侃々諤々の議論を続けてきた。

地球を惑星からはずすべきだという論拠は、このところの地球人たちの暴走は目に余るものがあり、太陽系の惑星たちの大きな脅威となっている、という見方が広がっているためだ。

「地球人たちの戦争好きは、もはや看過できない。このままでは、いずれ太陽系を戦場にしてしまうだろう」

「それに、自分たちの住む星を、メチャメチャに破壊して平然としているとは、狂気の沙汰だ」

こうして、冥王星人たちは、そもそも惑星とは何か、という定義から改めて議論を始めたのだった。

惑星とは、生命が存在するとしないとにかかわらず、穏やかで安泰なものでなければならない、というのが、大方の意見だった。

さらに、惑星であるからには、そこに生きる生命体は太陽系全体の一員であるという謙虚な自覚を持つべきであって、宇宙は自分たちの思いのままになるという思い上がりは、太陽系の調和を乱すものである、という意見も多かった。

しかし、せっかく冥王星の子どもから大人までが覚えてきた「水金地火木土天海冥」というおなじみのフレーズを壊すのは忍びない、という声もあった。

議論は天文学者たちの多数決にゆだねられることになった。

昨日行なわれた、全冥王星天文学総会では、わずかな差によって、地球を惑星から外す提案が可決され、これによって地球は「虚惑星」という新たな分類に格下げされることが正式に決まった。

惑星の数は9個から8個になり、並び方は「水金火木土天海冥」になる。

冥王星ではさっそく、来年からの教科書の書き換えの作業に入った

来年といっても、冥王星の1年は、地球の1年に換算して248年もの長さがあるので、時間はたっぷりある。

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2006/01/30

火星に居住したら毎日、カイコを食べることに?

最初にことわっておくのだが、これから食事をする方や、ムシの話は苦手の人、気持ち悪い生き物はダメ、という方は、ここで読むのをやめた方がいい。

将来、宇宙飛行士になって、ゆくゆくは火星に居住してみたいと考えている人にとって、見逃せないニュースが新聞に載っている。

火星の基地に長期に渡って居住する者にとって、食糧となる植物や動物を火星で栽培・飼育することが出来るかどうかは、大問題である。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究班「宇宙農業サロン」は、火星での動物性たんぱく質として、カイコが最適という研究提言をまとめ、2月5日から米国で開かれる国際学会で発表するという。(今朝の日経朝刊)

カイコというのは、繭をつくって人類にシルクの糸を提供し続けてきた、あの「お蚕さま」のことである。

研究提言によると、火星基地の温室で栽培しやすい植物としては、玄米、大豆、芋、小松菜などが適当だが、これだけでは動物性たんぱく質が取れない。

そこで、桑を栽培してカイコを飼育すれば、カイコの繭から絹の衣服が作れる上に、カイコそのものを蛋白質として食用に出来る、というのだ。

いわば、医食同源ならぬ衣食同源で、一石二鳥というわけだ。

火星で豚や牛を飼育するよりは、カイコの方がはるかに効率よく育てられる、ということも、火星でのメーンの食材として浮上してきた理由だ。

養蚕の盛んな地域では、カイコが食糧にされていた歴史もあるというのだが、火星ではどんなふうに調理して食べるのだろうか。

ここからは僕の想像になるが、まずは食べるのに抵抗が少ない料理として、カイコのハンバーグやミートローフあたりがいいだろう。

しだいにカイコの味になれてきたら、火星で栽培した小松菜とカイコの中華風炒めや、カイコと芋の煮付けなどが食べられるようになるかも知れない。

つぎのステップとしては、カイコの空揚げや天麩羅、カイコ鍋などもいいかも知れない。

さらに、カイコの酢の物、カイコの刺身が食べられるようになったら、あなたは火星居住者の中の食通となるだろう。

最後に極めつけは、カイコの活き造りであり、カイコのオドリ食いだろう。

僕はハンバーグでも無理な気がするので、火星に居住するのはあきらめたが、平気だと思う方は、いまからカイコ料理にチャレンジしておくのも悪くない。

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2005/12/16

「進歩し自己組織化する宇宙」という世界観

ポール・デイヴィス著の「宇宙に隣人はいるのか」(草思社)には、いろいろと考えさせられる記述が多い。

この本の「はじめに」では、地球外生命がいる可能性をどうみるかは、この宇宙をどのようなものととらえるかに深くかかわっている、という。

従来の宇宙観は、熱力学の第2法則に従って退歩している宇宙というものであり、いわゆる「死にゆく」宇宙であった。つまり「ランダムさ」は増加する一方で、決して自ら組織化する方向には進まない、というものだ。

この立場を貫くならば、地球において生命が発生したのは、宇宙の中でたった1回しか起きなかった偶然の出来事であった、ということになる。

それに対して、地球外生命が存在すると確信する科学者たちの中からは、「進歩し、自己組織化する宇宙」観が唱えられている、というのだ。

確かに、宇宙が始まったばかりのころの星は、水素やヘリウムという軽い元素で出来ていたのが、寿命を終えて死滅・爆発して新しい星が作られるプロセスを繰り返す中で、しだいに重い元素が作られていくことは、熱力学の第2法則からは矛盾しているように見える。

生命は、「神」の手や、「インテリジェント・デザイン(知的計画)」を必要とすることなく、この宇宙の進化と自己組織化の中で自然に生まれた、という考え方にはこのような宇宙観がある。

ただ、「進歩し、自己組織化する宇宙」という考え方には、ダーウィンの進化論と相容れない部分が多いような感じもするが、デイヴィスはこのあたりをどのように説明しているのだろうか。

まだ読み始めたばかりなので、どんな展開になっているのか分からないが、先日、ここで触れた「広い宇宙に地球人しか見当らない50の理由」(スティーヴン・ウェッブ著、青土社)とは同じ問題意識によるものながら、アプローチの方法は対照的なようだ。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「科学技術と文明と人類、それぞれの寿命を考えてみる」をアップロード)

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2005/12/09

広い宇宙に地球人しか見当らない50の理由、を読んで

今日のブログは、「表」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」と連動して同じテーマについて書く。

2日の記事でちょっと触れた「広い宇宙に地球人しか見当らない50の理由」(スティーヴン・ウェッブ著、青土社)を読んでの感想である。

なお、以下の内容にはネタバレがあるので、この本をこれから読もうと思っている方や、途中までしか読んでいない方は、ご注意いただきたい。

これは、「フェルミのパラドックス」について、現在までにさまざまな科学者や思想家、哲学者から出されている解を50に分類して考察したものだ。
フェルミのパラドックスの要旨は、この本では次のように説明されている。
「この銀河系には、地球外文明があちこちにいるはずだ。ところがその兆しは見えない。彼らはどこにいるのか」

著者は、これまで出されているさまざまな解を、49通り挙げて考察を加え、最後に著者自身の考え方を50番目として書いている。

この本が前提としているパラドックスの中軸は、銀河のあちこちに文明があるとすれば、そのうちの長寿の文明の中には、銀河全体の殖民に乗り出しているものもあるに違いない、というものだ。

本当にそうだろうか。この点について僕の考えは、「表」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に書いたので、ここでは触れない。

さて、著者の出した50番目の解は、「銀河系の中で、知的文明はわれわれだけである」という意外な結論である。

ここにいたるまでの49の解について、実に科学的な推論を展開してきた著者が最後の最後に、地球以外に知的文明は存在しない、と結論付けているのは、あっけない幕切れという感じだ。

「われわれの地球はこの広い宇宙の中でなんら特別な存在ではない」というコペルニクス原理あるいは平凡原理を踏まえて考察を続けてきた著者自らが、それに反する帰結を導き出しているという違和感は小さくない。

僕は、著者のこの結論は、読者の反発を十分に計算に入れた意図的な挑発であり、それなら読者であるあなた自身はどう考えますか、と読者に問いかけているのだと解釈する。

この本と併行して読んだ「宇宙 起源をめぐる140億年の旅」(ニール・ドグラース・タイソン&ドナルド・ゴールドスミス著、早川書房)の中でも、最後に「フェルミのパラドックス」について考察している。

こちらでは、次のように説明している。

「ある特定の時代に銀河系に数千の文明が存在するとしたら、隣の文明までの平均距離は、最も近い恒星までの距離の1千倍、すなわち数千光年にもなる。もしその中の少なくとも1つの文明が数百万年存続しつづけたら、彼らはわれわれに向けてすでに信号を送っているか、あるいはわれわれのささやかな通信傍受行為によって正体を現しているはずだろう。しかし、どの文明もそこまで長い間存続しないとしたら、お隣さんを見つけるのはさらに困難になるだろう」

僕は、こちらの説明のほうに説得力を感じる。

それに、人類がほかの知的生命からの信号を探し始めてから、まだ40年ほどしか経っていないのだ。

読者挑発という意図があるにせよ、スティーヴン・ウェッブのように性急な結論を出すのは、あまりにも気が短すぎるという気がする。

地球の文明があと数千年続くとしても、その存続中に他の文明を探し当てることが出来れば幸運、といったところではないだろうか。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「広い宇宙に地球人しか見当らない50の理由」をアップロード)

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2005/12/05

宵空に月と金星がランデブー

05-12-05_17-24宵の明星としてますます光度を上げている金星は、まもなく9日にマイナス4.7度の最大光度となる。

目のいい人なら、いまころの金星は真昼の青空の中に見つけることが出来る。

今日は素晴らしく濃い青空だったので、もしかして見えるかと目をこらしてみたが、やはり僕の視力で見つけることは無理だ。

その代わりに、細い三日月を青空の中に確認することが出来た。

夕暮れて、夜のとばりがおりるころになると、金星と三日月が並んで宵空に輝きを競っている。

この光景は、寒さを忘れるほど神秘的で凛としている。

先月に見た光景よりも、金星の光度が強くて月との視距離が近く、一段と印象深い眺めだ。

昔、このころの金星を望遠鏡で見たことがある。これが金星かと驚くような三日月の形になっている。

月はこれからしだいに金星から離れて、16日に満月に。

一方の金星は、少しずつ太陽に近づいていって見えにくくなり、1月13日には地球と太陽の間を通って、こんどは明けの明星になっていく。

明けの明星として光度が最も高くなるのが、2月17日。梅の見ごろかも知れない。

太陽からの角度が最も西に離れるのが3月25日だ。桜は開花しているころだろうか。

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2005/11/26

天文年鑑に毎年、神武紀元が明記される理由

2006年の天文年鑑を買ってきた。僕が中学1年のころから、毎年欠かさず買っていて、これで何年くらい続けているだろうか。

冒頭には毎年、その年の概要が書かれているのが興味深い。

「西暦2006年は平成18年で、明治139年、大正95年、昭和81年にあたる。神武天皇即位紀元では2666年になる」と書いてある。

僕はいつも、なぜ天文年鑑に神武紀元が書いてあるのか、不思議な気がしていたが、この2006年版には理由がわざわざ書いてある。

それによると、どの年が閏年になるかを定める勅令(明治31年勅令第90号)が「神武天皇即位紀元数」を基準にしているため、この年数が分からないと法的には今年が平年か閏年かを判断できないのである、というのだ。

閏年かどうかが、法的には今でも明治の頃に出された勅令をもとにして決められているとは、驚きだ。

現在のグレゴリオ暦では、原則として西暦年数が4で割り切れる年が閏年だが、例外として100で割り切れる年は平年とする。さらにその例外の例外として、400で割り切れる年は閏年である、としている。

これによって、例の2000年問題で大騒ぎだった5年前の2000年が、400年に一度の例外として閏年となった。

このようにして閏年か平年かは問題なく判断できるのに、本当に天文学者も物理学者も政府もカレンダー業界も、明治時代の勅令に基づいて判断しているのだろうか。

そもそも市販のカレンダーのほとんどは、神武紀元など問題にもしていない。

科学書であるはずの天文年鑑に、何か別の思惑のようなものが混じりこんでいるような感じがして、いつもこのくだりは釈然としない。

とくに2005年版まではずっと(僕の記憶にある限りは)、「日本紀元」という遠慮がちな表記だったのが、2006年版からいきなり「神武天皇即位紀元」と単刀直入の表記になっているのは、どうしたことだろう。

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2005/11/08

宵空に月と並ぶ金星、さらに光度を上げて

05-11-08_17-24立冬を過ぎたとは思えないほどのポカポカ陽気。

夜の帳が下りても大気はまだねっとりと暖かく、春の宵のような感じだ。

空には、上弦まであとちょっとの月と、その西側には4日に太陽から最も東に離れた金星が、競うように輝いている。

金星の光度は、いまでマイナス4.4等くらいだが、これからさらにぐんぐんと光度を増して、12月9日にはマイナス4.7等で最大光度となる。

この前後の半月間くらいは、空気が澄んでいれば白昼の青空の中に、金星を肉眼で見ることが出来る。

白昼でも見ることが出来る唯一の星が、この時期の金星だ。

金星の温度は、二酸化炭素による温室効果のため、400度から500度にも達する灼熱の惑星だ。

また金星だけは、ほかの惑星と異なって、公転とは逆向きに自転しているため、金星で見る太陽は西から昇って東に沈む。

京都の鞍馬寺には、今から650万年前に金星からサナート・クラマという魔王が降り立ったという伝説がある「魔王殿」がある。

この魔王こそ鞍馬天狗である、とも伝えられている。

650万年前といえば、類人猿から猿人が分かれて間もないころだ。

以前、僕はこの魔王殿を訪れたことがあるが、昼なお暗い鬱蒼とした奥山の木立の中にあり、いかにもそれらしい雰囲気が漂っていた。

鞍馬天狗が金星人だったというのは、なかなか興味深い言い伝えだ。

これから師走に向けて、ますます光度を上げていく金星を見ながら、さまざまなことに思いをはせるのも悪くない。

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2005/11/03

明日の宵空に、水星と金星を見れるか

君は水星を見たことがあるか。

星の好きな人なら、金星、火星、木星、土星は夜空のどこにあっても、見つけることは容易だ。

しかし、水星は太陽に近いため、なかなか見る機会がない。

僕が中学に入ったばかりのころのことだ。天文年鑑で水星が最も太陽から東に離れる日(東方最大離角)に、日が沈んだ直後の西の空に目を凝らして、地平線すれすれに水星の輝く姿をキャッチすることが出来た。

当時はカメラもなく、僕はその光景をノートにスケッチして、後日、科学クラブの先生に見てもらった記憶がある。

街には高い建物がほとんどなく、せいぜい木造の2階建てがまばらにあるくらいで、ちょっと小高い丘からは地平線まで見通せた時代だった。

あの時以来、僕は水星を見たことがない。高いビルが林立する現代では、もはや水星は幻の惑星なのかも知れない。

明日4日は、その水星が東方最大離角となる。太陽からの角度は23度になるというから、直角の4分の1ほどになる。光度はマイナス0.0等である。

しかし、東京ではたとえビルの屋上に昇っても、光害で宵の空が明るいため、水星を見ることは難しいのではないかと思う。

明日は珍しく、金星もほぼ同時に東方最大離角となって、こちらは太陽から47度も離れて見やすく、光度はマイナス4.4等と飛びぬけた明るさなので、素晴らしい宵の明星となることだろう。

さらに、30日に地球に最接近した火星が7日には太陽の反対側に来る「衛」となって、最も観測しやすい時期となる。

さいわい明日の天気予報では、宵から夜にかけても曇ることはなさそうだ。

条件が良ければ、太陽に近い順から4つまでの惑星を目の当たりにすることが出来るかも知れない。

水星、金星、火星のほかに、もう一つの惑星はどれだって? 

僕たちが乗っているこの地球じゃないですか。

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2005/10/26

接近中の赤い火星が、地球の未来を暗示する

雨続きの日が多い10月だが、たまによく晴れた空を見上げると、西の空にひときわ明るく金星が宵の明星として輝いている。

金星が西の空に沈む午後8時から9時ころに、こんどは東の空を見てみよう。

赤っぽく明るい星が昇ってくるのが、どこからでもよく見える。

これが、30日に2年ぶりに地球に接近する火星だ。

火星を見ると、僕たちはなぜか心が騒ぐ。それは、ときめきとも違うし、畏れとも違う。

言い表せないデジャ・ビュ感、あるいは懐かしい近未来というような、どきどきする感覚に、僕たちのDNAが反応する。

火星は地球と極めてよく似ている兄弟惑星なのに、大気はまったくといっていいくらいなく、水は氷の状態で大半は地中に閉じ込められているとみられる。

古来、多くの人たちが火星を見上げて思ったように、僕も火星にはかつて生命が存在したに違いないという気がする。

空想をめぐらせるならば、火星にもかっては酸素が豊富な大気があり、海も川も広がっていて、さまざまな生命が誕生して進化を遂げた時期があったのだろう。

おそらく、文明を構築できる知的生命も繁栄していた時期があったような気がする。

だが、何らかの理由によって、火星の環境はすべての生命を一掃するほどの激変に見舞われて、大気を失い、水の大半は地中にしみ込んで凍結した、と想像する。

どれくらい前の出来事か。これも全くの空想だが、今から2億年くらい前の出来事ではなかったか。

地球では、恐竜が全盛期を謳歌していたころだ。

火星の文明がどこまで進歩していたのかは分からないが、当時の地球における生命進化を様子をキャッチ出来るほどには至っておらず、ロケットや宇宙船の打ち上げもない文明だったのだろう。

地球でも、有人宇宙飛行をしたり他の惑星の様子を探査したりするようになるずっと前に、核エネルギーを獲得して生命体同士の殺戮に使用していることを考えると、火星の文明がようやく核エネルギーに手をつけた可能性は十分にある。

核エネルギーの制御に失敗したのか、火星環境の悪化に歯止めをかけることが出来なかったのか、ともかくも火星の文明は終わり、火星環境の壊滅的な破壊が進むにつれて、生命圏も滅びていった。

火星は地球の鏡であるとよく言われる。いずれ地球も大気を失って凍結すれば、赤くさび付いた第二の火星になるのだ。

東の空から昇ってくる火星は、地球の行く末の姿のように思えてならない。

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2005/10/06

小惑星イトカワの衝突確率は、かなり大きいぞ

探査機「はやぶさ」が接近して調査している小惑星イトカワは、100万年に1回の確率で地球に衝突することが分かった、とニュースで報じられている。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)が観測データに基づって計算した結果だというが、この確率の言い表し方は、なにかヘンな気がしてならない。

100万年に1回の確率というが、これはそうそう何度も衝突が起こるたぐいのものではなく、1回衝突したらそれでおしまいである。

この言い回しによると、1000万年の間に10回程度の衝突が起こるような錯覚に陥る。

これは研究者たちにとっては当たり前の言い回しなのか、それとも一般の人たちにも分かりやすいように100万年に1回という表現にしたのかは分からない。

しかし、確率ということで言うならばこれは、1年の間に衝突する確率は100万分の1、ということなのではないだろうか。

それはつまり、100年の間に衝突する確率は、1万分の1ともいえる。

こういう言い方に置き換えると、小惑星イトカワが地球に衝突する確率はかなり高いという気がする。

1万年の間に衝突する確率は、100分の1、すなわち1%である。

早い話が、100万年の間に衝突する確率は、100%ということだ。

小惑星イトカワの大きさは、約600メートル×約300メートルで、衝突すると広島型原爆65万個分の破壊力があるという。

100万年のうちにはほぼ確実に起こるであろう衝突を、いまから心配する必要があるか否か。

実は心配しなくても大丈夫なのだ。

なぜって、去年刊行されて話題を呼んだ「フューチャー・イズ・ワイルド」によれば、人類はあと数千年後に絶滅するのだから。

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2005/07/30

75年ぶり太陽系10番目の惑星とボーデの法則

冥王星の発見以来、75年ぶりに太陽系の10番目の惑星が発見された、とNASAが発表した。

なんと太陽の周りを一周するのに約560年かかるというから気が遠くなるような話だが、もっと驚くのはほかの9個の惑星の軌道とは約45度の角度で交わっていることだ。

これが国際天文学会で惑星と認められれば、正式な名称がつけられるという。

僕たちが子どものころから暗記してきた水金地火木土天海冥に、もう1つが加わることになる。

天王星、海王星、冥王星ときているので、日本語に訳した時には、やはりナンタラ王星となるのだろうか。

ここで僕は、太陽と惑星との平均距離についてのボーデの法則を思い出す。

1772年にボーデが発見した法則で(実際にはその6年前にティティウスも発見している)、太陽と地球との距離を1とした時に、水星を0.4として、金星からは順に次の法則が成り立つとするものだ。

太陽からの距離=0.4+0.3×2のn乗(nは0、1、2‥)

これに基づく計算値は次のようになる。( )は実測値

水星       0.4(0.39) 
金星  n=0 0.7(0.72)
地球  n=1 1(1)
火星  n=2 1.6(1.52)
小惑星 n=3 2.8(2.2~3.2)
木星  n=4 5.2(5.2)
土星  n=5 10.0(9.6)
天王星 n=6 19.6(19.2)

ここまでは、ピッタリなのだが、海王星(30.1)と冥王星(39.5)では、ボーデの法則が破綻しているといわれてきた。

しかし、最近、海王星より外側の小惑星が次々と発見されて、それらは冥王星を含むプルーチノ族、そのさらに外側のキュビワノ族として、研究が進んでいる。

そうして、海王星、冥王星を含むプルーチノ族、キュビワノ族を大きな一団ととらえると、それらの平均距離は37.9となって、ボーデの法則のn=7から導かれる38.8とかなり合致してくる。

では今回発見された10番目の惑星は、ボーデの法則があてはまるのだろうか。

ボーデの法則によるn=8は、77.2となる。

この10番目の惑星は楕円軌道で、太陽からの距離は36~97と観測されている。

これをどう見るか。かなりいい線をいっていて、ボーデの法則はあてはまっていると僕は感じるのだが、どうだろうか。

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2005/07/28

シャトルの断熱タイル落下への対処法

スペースシャトル・ディスカバーの断熱材の落下は、なんともおそまつだ。

十分な点検をせずに、打ち上げを急いだツケともいえそうだ。

断熱材は、外部燃料タンクから剥離しただけでなく、シャトル本体の機体底面からも落下した可能性があるという。

断熱材は、セラミックのようなタイルを一枚一枚貼り付けているというが、技術の粋を結集したにしては、なんとも原始的なやり方のような気がする。

貼り付けるのではなく、コーティングのように吹き付けてしまえばいいのにとも思うが、さまざまな理由でそれが出来ないのだろう。

乗組員の野口聡一さんが船外活動で修復を試みるというが、修復が不可能な場合は、どうやって帰還させるのだろうか。

素人考えだが、シャトルが地上に帰還する時には、大気圏に猛スピードで突入するから機体が高熱の火の玉のようになるのであって、少しずつ高度を下げてくれば、高熱は避けられるのではないか。

それとも、猛スピードで突入しないと、いつまでも地球を周回する軌道から戻れないということなのだろうか。

こういう時に、宇宙の便利屋のような商売をするベンチャー企業があれば、いい仕事になるかも知れない。

その企業のオフィスは、国際宇宙ステーションのあたりに浮かんでいて、シャトルや宇宙船に故障や不都合が生じたら、ただちにレスキュー隊としてかけつける。

今回のケースなら、断熱タイルを持ってかけつけ、野口さんたち乗組員と共同作業で、破損した断熱材を修復・補強する。

とはいえ、今回はそんなことも夢想していられないので、とりあえずは国際宇宙ステーションに乗組員を退避させることも選択肢だろう。

その後で、ディスカバリーをすてて、ロシアの宇宙船でも打ち上げてもらって、それで地球に帰るというのも、賢明な方法かも知れない。

アメリカやNASAは、メンツにこだわって無理をしてはならない状況だと思う。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「毎秒、400兆個のニュートリノが人体を通過している不思議」をアップロード)

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2005/07/21

アポロの月面着陸から36年、人類は前進したのか

img01136年前の今日、アポロ11号による人類初の月面着陸が世界中を興奮に包み込んでいた。

あの日、僕は高校野球の地方大会が行われている球場で、トランジスタラジオによる生中継に聞き入っていた。

ヒューストンと月着陸船イーグルとの長い時間をかけた交信。そのやり取りが、当時としては珍しかった同時通訳で、逐一、ラジオとテレビで伝えられていく。

「すべて順調、すべて順調」という同時通訳のことばが、何度も何度も聞こえてくる。

当時の交信記録を音で記録した朝日ソノラマが僕の手元に残っている。

これを見ると、イーグルが月面に着陸してから、点検や準備などにじっくりと時間をかけていて、アームストロング船長が月面に足をつくのは9時間43分後のことだ。

アームストロング船長は「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な躍進だ」というあの歴史的な言葉を発した後、月に置いてくる銘板の文章を朗読する。

「惑星地球からの人間、ここに月への第一歩をしるす。西暦1969年7月。われわれは全人類を代表し、平和のうちにここへやってきた」

長い間、SFの世界の話でしかなかった月世界探検が、いま同時進行で実現しているのだという、不思議な感覚はいまでも忘れられない。

だが、あれから歳月が流れ、アポロ11号の偉業が遠い昔の出来事となった今、人類はこの間にどれほど進歩したのだろうかと思う。

科学技術の発展は著しいとはいえ、人類はエイズも癌も克服できていない。地震や津波、風水害などに対しては、いまだになすすべもない。

富める国と貧しい国の格差はますます広がり、富める人々と貧しい人々の開きはますます拡大している。

地上では、テロに対する戦争と、それに対するテロの歯止めなき応酬はエスカレートするばかりだ。

いまのアメリカのやり方を見ていると、これが月への着陸を実現させた同じ国なのかと疑問に思う。

アメリカは自らの力への過信と傲慢によって、あの一歩を人類の偉大な躍進につなげることに失敗したのではないか、という気がしてならない。

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2005/04/14

この銀河系に130億歳の星がある驚き

 僕たちの太陽があるこの銀河系に、130億年前に誕生したとみられる最古の星が見つかった、とニュースが伝えている。

 宇宙が無から生まれてビッグバンによって形成されたのが137億年前とされているから、この星は宇宙が出来てからわずか7億年後に生まれ、それ以来ずっとこの銀河系を見守ってきたといっていい。

 太陽くらいの大きさの星の寿命は、100億年ほどとみられている。わが太陽は、誕生したから46億年ほどになり、まだ寿命の半分にもきていない。

 もっと大きな星になると寿命が短くなっていって、1億年程度の星もあり、巨大な星では寿命が100万年という短命のものもある。

 小さな星ほど寿命が長くなっていって、1兆年という超長寿の星もある。

 寿命が尽きた星は、赤色矮星となって大爆発を起こし、大部分のガスを吹き飛ばして、核が白色矮星になる。この時に重い元素が作られる。

 あるいは超新星爆発を起こして中性子星やブラックホールになり、その過程ではささらに重い元素をたくさん作り出して宇宙空間に撒き散らす。

 こうして寿命が尽きた星が残したガスが集まって、次の世代の星が誕生していく。

 後から作られた星ほど、重い元素を含む割合が大きくなるため、いつごろ出来た星かが推定できる。

 今回見つかった星は、太陽から4000光年程度の距離にあって、質量は太陽の7割くらいという。

 この星に惑星があって、地球と同じような条件だったならば、生命が発生して知性や文明が生まれていたかも知れない。

 しかし、おそらく太陽や地球が誕生するよりもはるか以前に、その惑星の生命も文明も滅びてしまったに違いない。

 僕たちのこの銀河系に限っても、少なく見積もっても100から200くらいの文明がすでに存在したか、いま存在しているとみられる。

 宇宙全体では、このような銀河系が数千億も存在することを考えると、すでに終わった文明の数は無数といっていいくらいあったと思われる。

 僕たちの文明も、そのようにして終わっていく文明の一つなのだろう。

 宇宙全体からすれば、一つの文明が終焉することなど、あまりにも日常茶飯事な出来事で、とりたてて大騒ぎするような出来事ではないような気がする。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の21世紀エッセイ「時間の岸辺から」に、「『愛国無罪』を黙認する中国当局の危険なカケ」をアップロード)

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2005/01/20

火星で見つかった隕石の写真に思う

NASAの火星探査車オポチュニティーが、火星の地表で見つけた隕石の写真が、今日の夕刊各紙に載っている。

無人の世界に、ぽつんと落ちているバスケットボール大の隕石。大小の穴がたくさん開いている隕石の写真は、極めて鮮明で、これを見ていると不思議な気持ちになってくる。

オポチュニティーは、この隕石を見つけると、表面のほこりをブラシで掃除して、写真を撮影したという。

人間も生物もいない(たぶん)世界で、オポチュニティーが一生懸命、見つけた隕石の表面を掃除してきれいにしている光景を想像してみる。

オポチュニティーは、もちろん視覚センサーを備えているのだが、思考や意識はどの程度あるのだろうか。

幾分でも、思考する能力があるならば、「コレハ、ナンダロウ。キレイニ、ミガイテカラ、シャシンニ、トロウ」などと、つぶやいたのかも知れない。

この隕石は、いつごろ落ちたものだろうか。火星に落下した時は、どんな様子だったのだろうか。

火星には大気がないから(すべて失われてしまった)、大気との摩擦で流星として輝くこともなく、突然、音もなく、というよりも大気がないから音も出ない状態で、すっ、と地表に落ちたに違いない。

衝撃で砕け散った様子も見られないが、地表の方は穴が開かなかったのか、不思議だ。

落下の様子を見ていたものは、たぶん誰もいないし、何者も見ていなかった。

そしてこれまで、隕石は長い長い火星の時間をだれにも見つけられることなく、落ちた場所にじっとしていたのだ。

地球以外の惑星で隕石が見つかったのは、これが初めてという。

土星の衛星タイタンの鮮明な写真にも驚いたが、この世界は地球の外にも大きく広がっていて、とてつもなく茫漠として荒涼としているようだ。

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2004/12/21

冬至の太陽の真後ろに、夏至の日の地球があった

僕はいつも、冬至の日になると太陽を見る。

太陽を見る、という言い方は正確ではないだろう。太陽の真後ろ、地球と太陽との距離を、そっくり反対側に延ばしたあたりの宇宙空間に思いをはせる。

僕はまぶしく輝く太陽の真後ろに、ちょうど半年前の夏至の日に、僕たちを満載した地球が通っているのが、見える思いがする。

あれから6カ月かけて地球は太陽の周りを半周する旅を続けて、いまちょうど夏至の時とは反対側に来ているのだ。

夏至の日の地球はもちろん、今の僕たちから見えようはずもない。

だがもしも、0.5光年離れた宇宙空間から、とてつもない精密な望遠鏡を向けたならば、半年前の地球の姿を「リアルタイムで」見ることができるはずだ。

そこには、この半年間に戦乱や災害、病気や事故で亡くなった無数の人々が、まだ元気で生きている光景を見ることができるだろう。

2004年6月21日の僕が、そしてあなたが、そこにはいるはずだ。

過去に発せられた光は、光速で宇宙空間を旅していく。タイムマシンは作成不可能でも、過去が発した光はそのまま真空を伝わって広がっていく。

いまから半年かけて、地球は太陽の周りを半周して、また来年の夏至の日には今見ている太陽の真後ろの位置にたどり着く。

宇宙のどの場所からも、どんな精密な望遠鏡を使っても、これから先の地球の様子を見ることはできない。たとえ1日後であっても、否、5分後であっても、未来の光景は観測不能なのだ。

時間は旅人である。宇宙も銀河も太陽も地球も、生き物たちも人間も、みな時間とともに旅をしている道連れに過ぎない。

何のために旅をしているのか。旅の目的はあるのだろうか。人はなぜ苦しみを背負って旅をしているのだろうか。

ユズの香りをかぎながら、広大な宇宙と卑小な自分のかかわりに思いをはせて、せつなくなる。

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2004/12/01

すべての存在をしばりつける重力とは何だろう

04-12-01_14-46.jpg師走に入った新宿駅東南口。ルミネ2の壁面に、2人の忍者が張り付いている。

屋上につながれた1本のロープにぶら下がって、ビルの壁面を自在に上下左右に移動していく。

プレステ2の巨大な広告ボードの取り付け作業らしい。下では、サラリーマンやOLたちが足をとめて見上げている。

この作業は重力に抗している、というよりは、重力とうまく折り合いをつけ、重力と仲良くしていかないと、決して出来ないのではないか、という気がしてくる。

重力って何だろう。万有引力によると一言でいわれるが、どうやって離れた物体同士が力を及ぼし合うのか、不思議な気がする。

最近読んだ本には、重力とは時空のさざなみである、と書いてある。物質の質量によって、時空がゆがむ。

そのゆがみが、さざなみとなって光速で伝わっていく。波を伝える海水にあたるものは、真空それ自体なのだ。

時空のさざなみは、真空のさざなみとも言い換えられる。真空は時間と切り離すことが出来ず、真空と時空はイコールなのだ。

僕たち人間も、動物たちも植物も、海水も雲も大気も、そして地球それ自身でさえも、時空のさざなみによって、地球の中心方向に絶えず引き寄せられている。

時空のさざなみがあるからこそ、太陽も地球も丸く固まってばらばらになることがない。時空のさざなみは、地球の進化を促し、無数の命をはぐくんできた。

物質は重力の縛りから逃れられないが、精神や思考や感覚や愛は、時空を自由に飛翔してまわることが出来る。

脳や心は、重力から解放された宇宙なのだ、と僕は思う。

冒頭の写真の下には、都心では数少ない大階段がある。階段下の広場は、バンド演奏をするグループやティシュなどを配る人たち、イラク撤退を呼びかける市民グループなどで、いつもごった返している。

待ち合わせの人たち。手をふって別れる人たち。ここには人生のさざなみが、幾重にも重なって渦となっている。

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2004/11/27

無からどのようにして宇宙が生まれたかを考える

20世紀最大の科学的発見は、この宇宙が無から生じたことの発見とされる。

1982年にビレンケン博士が発表して、世界中の科学者たちを震撼させ、宗教界から哲学界さらには一般の人々の間に、大きな衝撃と波紋を巻き起こした。

端的に言うと、宇宙は無の揺らぎによって誕生した。

宇宙物理学などまったく素人の僕でも、この驚くべき結論の意味するところを考えてみたいという希求にかられる。

ビレンケン博士のいう「無」とは、時間も空間も物質もエネルギーも全く存在しない状態のことだ。

この「無」の状態はたえずゆらいでいて、現実の存在になっていない仮想空間の中で仮想的な極微小の宇宙がたえず、ついたり消えたりしている、と説明される。

存在と非存在の間を揺れ動いている仮想宇宙は、量子論的効果によって、ある確率で「無」から「有」へのバリアを突き破り、素粒子よりもはるかに小さい極微の宇宙が空間や時間とともに誕生した。

時間も誕生していない中で、どうしてこのようなことが行われたのか。車椅子の科学者として知られるホーキング博士らは、この段階では虚数時間が流れていた、と説明している。

仮想空間や仮想宇宙、そして虚数時間。いずれも現実には存在していない、いわば虚構ないしは物語の中の世界を想起させられる。

僕が思うには、「無」のままだったら、それこそ何も始まらないし何も起こらない。「無」は「有」との対比でのみ意味を持ち、「無」か「有」かは、ある意味で裏表の関係にあって、どちらになるかは可能性の問題なのかも知れない。

誤解を恐れずに、極めて比喩的な言い方をすれば、「無」にとって自らが「有」すなわち宇宙になることは、一種の「夢」であり、さらにいえば「ロマン」だったのかも知れない。

虚数時間の中で、無がなんとかして「有」になろうともがいていた時、もし神がいたならばこんな会話があったかも知れない。

神 「自発的に宇宙になることなど、無理だよ。私が一撃を加えてあげよう」
無 「いえ、きっと自分の力で宇宙になってみせます。手を貸さないで下さい」
神 「強情なやつだな。どんな世界を生み出すことになっても、私は知らないぞ」
無 「分かっています。あなたに助けは求めません」
神 「では私はこれで消える。さらばじゃ」

神の手を振り切って、「無」が自ら姿を変えて自発的に創り出したこの宇宙は、ビッグバンを経て、現在も膨張の途中にある。

僕たちは、宇宙になった「無」が紡ぎ続ける壮大な物語の過程で、ほんの一瞬に発生した小さな粉粒のような存在だ。

いずれ、この宇宙は数百億年後には縮小に転じ、すべては小さな一点に凝縮されて、再び無に帰する、とみられている。

「無」がすべての源であり、すべてのものの生みの親である、と思うとなんだか心がやすらかになってくる。

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2004/11/24

「地球カレンダー」的に生きること

このところ、現在の人間はどこから来たのかという問題で、注目すべき発見が相次いでいる。

5日前の朝刊各社に載った記事によると、ヒト、チンパンジー、ゴリラの共通祖先である1300万年前の類人猿の化石が、バルセロナで見つかった。

これまで最古の猿人は、700万年前に類人猿から分かれた直後とみられるものが見つかっているが、それにつながる類人猿の化石はほとんど見つかっていない。

一方、今日の読売夕刊によると、20万年前にアフリカで原人から進化した現生人類が、5万年前にすでに北米大陸に住んでいた遺跡が見つかったという。
これまでは、1万3000年前に北米大陸に達したというのが定説で、今回の発見によって、シベリアとアラスカがまだ離れていた時代に、どうやってベーリング海峡を越えたのか、などさまざまな問題の検討を迫られているという。

世界が、アメリカの一国主義的な軍事暴走をとめることが出来ず、失望と憂鬱に包まれている中で、僕たちはあらためて「人類とは何者なのか」を見つめ直す時期にきていると思う。

それとともに、領土や国境という線引きが、人類にとって本当に必要なものなのかどうかについても、根本から考え直さなければならないだろう。

時あたかも、青森県三沢市の市立中学校の先生から、生徒たちに地球上の主なできごとを長い模造紙に書かせて、地球の歴史の長さを実感させる授業をやりたいとして、僕の「表」のサイトにある「地球カレンダー」のデータ(本にもなっている)を使わせてほしい、というメールをさきほどいただき、快諾の返事を出した。

遠く離れた三沢の中学生たちが、どのような思いで模造紙に地球の歴史のデータを書き綴っていくのかを想像すると、明日への希望はこのような地道で創造的な授業の中にあるような気がしてくる。

ほかにも、地球カレンダーのデータを使いたいというメールが、このところ僕のもとに続いている。

中国地方の医療生協の学習会、西日本の電力会社の機関誌、等々。

地球カレンダー的な考え方、地球カレンダー的な発想、そして地球カレンダー的に生きること。

こうしたことが、たとえゆっくりとでも少しずつ広がっていくことで、いま地球を身動き取れなくしている何かが、ちょっとでも変わっていけばいいのに、と願っているのだが。

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2004/11/20

人類が時間の意識を持ったのは、いつごろからだろう

静かな土曜日だ。誰もいない家にずっと一人でいると、時間が止まったような錯覚に陥る。

時計の針の位置が、少しずつ確実に変わっていることに気付いて、ようやく時間が流れていることを知る。

つるべ落としの秋の日というが、外をみればもう真っ暗だ。

今日一日が終わり、また明日がやってくる。人間が、時の経過を意識したのは、いつごろからだろうか。

20万年前に原人から進化した現生人類は、たぶん時の経過を意識し、人間は死によって生と区別される状態になることに気付いていたに違いない。

では原人たちは、時間の意識があったのだろうか。180年前に出現した新しい原人ホモ・エレクトスは、火をつかうことを覚え、言語もこの段階から少しずつ作られていったらしい。

昨日と今日の区別。今日と明日の区別。自分と相手の区別。自分でも相手でもない第三者の区別。人間と動物の区別。人間と植物との区別。こうしたことを仲間に伝えるためには、何か区別出来る音を発する必要があったのだろう。

火を使うことによって、火がつく、火が消える、火で熱い、水は冷たい、などの表現が必要になっていったのかも知れない。

時間の意識は、言語とともに発生したような気がする。

それより前の原人たちや、猿人たちは、一日の終わりや歳月の経過を、どのように意識していたか。

おそらくは、何かが変化し続けているこの世界の実相を、表現できないもどかしさで感じ、そこに流れている何かがあることを、息をひそめて見つめていたに違いない。

ではいまの僕たちは、時間の正体についてどれほど知っているか。猿人たちや原人たちが感じた漠たるもどかしさは、いまもそれほど変わっていないのではないか。

僕たちは、時間にがんじからめにされているようで、時間そのものについては何も知っていないに等しいように思う。

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2004/11/19

青く輝くイリュミネーションは、宇宙でもあり脳でもあり

04-11-18_12-29.jpg新宿のマイシティに、不思議なイリュミネーションが登場している。

クリスマスないしは歳末商戦に向けてのムードづくりなのだろうが、商業主義が前面に出ることなく、ソフトな感じで一味ちがう飾りつけとなっている。

大きさが異なる白い球体が積み重なっている中に、さりげなくミラーボールが入っていてアクセントになっている。

目を引くのは、その回りに輝く青い小さな球体だ。点滅するわけでなく、ただ青い光を放っているだけなのだが、この落ち着いた感じが、さまざまなイメージを感じさせる。

この白い球体一つ一つが、独立した宇宙だとしたら、並行宇宙論や泡宇宙論のようでもある。青い球体は、無の揺らぎによって生まれたばかりのベビー宇宙なのかも知れない。

老いた宇宙は、ミラーボールのようにほかの宇宙の姿を反射光として投げ返しながら、やがてシャボンダマのように壊れて消えるのではないか、という気もする。

もうちょっと引いて眺めると、これは僕たちの脳のシステムそのものであるようにも見えてくる。

僕たちが自分の意識や感情、心、精神、思考、意思と思っているものの正体は、無数の脳細胞同士の間で絶えず起こっている、このイリュミネーションのような現象なのかもしれない。

それで思い出すのは、宮沢賢治の「春と修羅」序である。

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

愛も歓びも悲しみも怒りも苦しみも、意欲も希望もインスピレーションも決意も、このような反応と惹起の過程なのだと思うと、この青い輝きがいとおしくなってくる。

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2004/11/06

赤々と燃える夕日に、古代の人たちは何を思ったか

04-11-06_16-13.jpg今日は珍しく、東京からも赤い夕日が沈みゆく様子が、きれいに見られた。

赤い夕日が沈む。
そのことは、人間をさまざまな感情にかきたてる。

歓喜、壮大、悲しみ、寂寞、愛おしさ。生きてることの不思議さ。いま存在していることへの感謝。

夕日は、人間の目の高さと同じにあり、自然な視線の先にあるから、人間と太陽とのかかわりを直感的に感じさせる。

夕日を見る時、人は太陽と一体になる。その一瞬、自分が宇宙の中にいることを感じる。

電灯などなかった数千年前、あるいは数万年前の古代の僕たちは、沈む夕日を見て何を思い、何を感じただろうか。

この世界は、なぜ存在しているのだろう。僕たちはいったい何者なのだろうか。この世界はこれからも続いていくのだろうか。

古代の人たちは、夕日を見ながら、こんな会話を交わしていたに違いない。

「これから数千年や数万年たっても、世界はあるんだろうか」
「あるとしたら、どんな世界になっているんだろう」

夕日が沈み、夜の帳が急速に落ちる。
闇の中、ところどころで、焚き火の灯りが揺れる。

その焚き火も消えたころ、人々は寝静まり、暗闇が訪れる。

空には満天の星。時がまだ、たおやかに流れていた時代であった。

(表の新着情報:「21世紀の歩き方大研究」の新世紀つれづれ草に、『時間の岸辺から』第66回「地域通貨」をアップロード。これは欧州の邦人向け日本語新聞「英国ニュースダイジェスト」に同時掲載)

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2004/10/12

2035年9月2日、日本の中央部を走る皆既日食

あさって14日は、日本で部分日食が見られる。東京では最大で24%が欠ける。

日食を見るには、濃い色ガラスを重ねたり、プラスチックの黒っぽい下敷きなどで、透かして見る方法がよく使われる。

僕がいつもやっている方法は、写真のネガフィルムの端っこの黒くなっている部分を2枚重ねて透かして見る。これで暗すぎもまぶしすぎもしないちょうどいい状態で太陽の欠け具合が見える。

部分日食も面白いには面白いのだが、僕がなんといってもワクワクするのは、2035年9月2日に日本の中央部で見られる皆既日食だ。

この日、皆既帯が通るのは石川、富山、長野、新潟、群馬、栃木、茨城などで、時間も午前10時すぎという絶好の時間だ。

日食ファンや天文ファンならずとも、今から期待が高まっていて、その日が近づくにつれて、日本列島は大変な騒ぎになっていくのではないか。

たぶん、5年前の2030年ころから大フィーバーが始まって、2035年は元日から皆既日食の