2014/09/09

昨夜は中秋の名月、今宵は満月

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月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど  (大江千里)

燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長 (白楽天)


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2014/07/31

世界はクリームソーダの泡の一つに過ぎず

140731a昔、純喫茶にてしばしば注文せるクリームソーダ、急に食したくなりて、余の地域一帯を探し回れるも、いまやコーヒーショップ、ファミレスのいずこも、このメニューあらずして、もはや絶滅飲食物となれるやと思ひける。

ネットにて仔細に調ぶれば、300円にてクリームソーダのある店見つかりて、足を運びたり。

緑色のソーダ水に浮かぶバニラアイスクリームの、妙なる色合ひの清けさもさることながら、この味と食感こそまさに我が遥けき青春そのものならめ。

クリームソーダには、ストローとスプーンのふたつとも付けられたること、こは飲み物なりてしかも食べ物なるてふ両義性のあること示すかと。

ソーダの中から間断なく沸き出る泡は、上昇してクリームに接するやいなや、クリームの周りを取り囲む泡群の一粒となりぬ。

湧きいづる泡なむ、微小にして宇宙的なるスケールを持ち、仮の時間と仮の物質・エネルギーを蓄へたる。

クリームの周りに浮かぶ泡群は、可能性としてのさまざまな宇宙なりて、浮かびては消ゆる無数の泡のただの一個のみが、我々の存する現実宇宙なり。

いずこの泡の現実宇宙なるかは、見た目にては判別すること能はずして、中に存する者のみぞ認識さるる。

泡がソーダの中にて生まれしより、クリームの周りから消滅するまでの、はつか数秒から10数秒の間に、現実宇宙としての泡の中では1000億年から9000兆年が経過しおるやも知れぬ。

我々の存する宇宙の年齢の、139億年と推定さるるは、さしずめ緑色のソーダ水から上昇してクリームに突き当たりたるころかとぞ。

世の中を何に例へむ グリーンの クリームソーダの ただの一泡 

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2012/09/22

静寂は見かけ、我らみな超高速で空間移動中

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かくかくも春過ぎ夏たけぬ。秋の初風吹きぬれば、けふは彼岸の中日と知る。

空を見上ぐれば、秋分の太陽の中天にかかれり。

その太陽に目を遣りて、地球から太陽までの距離を、さらに反対側に同距離だけ伸張してみむ。

汝はそこに何を見るや。

余は、その位置、その空間に、まこと半年前の春分の日の、我らが地球の姿ぞ、りんと見ゆる。

今年の3月20日、春分の日。寒さのひとしほに身に凍みて、桜のつぼみも固かりし頃なりき。

心眼を凝らして見れば、半年前に生くる我や汝の姿あり。そは愛しき日々の残照か幻影か。

地球はこの間に、太陽の周りを回る公転軌道を、猛スピードにて半周せり。

その速度たるや、時速10万7000キロてふ、とてつもなき超高速なりて、時速1000キロの飛行機の約100倍の速さとぞ。

秒速では30キロにもなり、東京-大阪間を約3分にて進む速さなり。

これごときで驚くなかれ。地球を含む太陽系全体が、我らが銀河系宇宙の回転によりて、時速80万キロてふ超高速にて、いま現在も空間移動中なるぞかし。

秒速に換算すれば220キロにて、東京-大阪間を2秒半ほどで通過するとや。

我ら、ともすれば日常の些事にまぎれ、目先のことどもに囚はれて、かくも遠大なる宇宙旅行の只中にあることに、思ひを致すことなきこそ悲しけれ。

いまひとたび、秋分の太陽に目を遣る。

その反対側に、ふと垣間見たるは、半年後の春分の日に、その位置に行くはずの地球の姿かと。

2013年3月20日の、我の姿も汝の姿も、おぼろなれど、見ゆる心地ぞしたる。

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2012/05/21

東京にて173年ぶりなる金環日食を見たり

120521a昨夜の天気予報では、東京なんど太平洋沿岸は、朝からなべて曇りとのことなりき。気象情報のお姉さんの、申し訳なささうに伝へたるは。

されど、天気予報も当たらぬこと、ままありて、けふ朝になれば、いでいで、ところどころに薄雲かかりたれども、雲の切れ目から日の輝きたるは、夢かとぞ。

余は部屋に居ながら、雑誌付録の遮光プレートかざして、太陽を見やりたり。

部分日食のやうやうに進行したりて、つひに午前7時32分ごろ、見事なるオレンジ色のリング完成し、世紀の金環日食となれる。

金環食の持続は、はつかに5分ほどなれど、見ること能ひたるは、いみじき幸運のきわみにて、嬉しきことなのめならず。

ケータイの前に遮光プレート付けて、ダメモトで写真撮れば、不鮮明なれどいちおうリングの形して写りたりけり。

「世紀の」てふ言葉、ちかごろは何事につけ安易に用いらるるも、こと金環食に関する限り、掛け値なしの言葉とこそ。

前回、東京にて金環食の見られたるは、天保10年(1839年)のことにて、以来173年ぶりなり。

さらに、今回のやうに東京、名古屋、大阪を含む広き地域にて金環食の見られたるは、平安時代後期の承暦4年(1080年)以来、932年ぶりとぞ。

次に東京にて金環食の見らるは、300年後の2312年4月8日なるらし。

されど、300年後の当日、晴るるてふ保証のあらうかは。

あらためて、けふの天気予報はずれたること、いかで幸せならざらむや。

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2012/03/26

金星、三日月、木星が一直線に並びたり

1203262aa1203261aa今宵、西の空に、金星、三日月、木星の順に、縦に一直線に並ぶ光景の出現したりて、いみじう見ものなりけるは。

金星と木星の間に、細き月の割り入りたるは、げに幻想的にして、なにやら不思議の徴の如し。

この姿、今宵限りのものにて、明日の宵には、三日月の形やや太くなり、三者の並び順、三日月、金星、木星となるべし。

すべてのものは、少しずつ動きゆきて、定まるところなし。

天に於いてしかり。いはむや地上に於いてをや。


N饗アワー、昨夜の放送をもちて、32年間続きたりける長寿番組の幕を降ろせり。

新宿三越の三越アルコットと名を変へて営業したるが、今月限りにて82年の歴史、閉じるとぞ。

始まりのあるもの、いつか必ず終はること、この世の必定ならむとこそ。

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2012/03/15

今宵の西空に、金星と木星の最接近を見ゆ

120315s_2北風吹きすさぶ宵の西空に、ひときは明らけき2つの星、並びて輝けり。

光度マイナス4.3等の金星と、マイナス2.1等の木星にて、けふの夜午後7時38分、最接近とぞ。

2つの星の見かけ上の角度なむ、3度16分なる。

天体ショーとしてのヤマ場は、26日から27日にて、この2つの星に細き三日月の加はりて、宵の西空に妙なる光景を現出するらむ。

この後、金星はさらに光度増しゆきて、4月30日にマイナス4.5等と最大光度となり、目の良き向きには昼間にても肉眼にて見ゆるほどになるらし。

いま夜の帷下りてから見ゆる惑星、さらに二つあり。

南の空、しし座に赤みをおびて輝けるは火星なるぞかし。今月6日に地球に再接近したりて、いまの光度はマイナス1.2等とぞ。

そのやや離れて東より、おとめ座には光度0.4等になりたる土星の見ゆるは。

金星と木星、火星、土星を同じき一夜の夜空に見やれば、ふと物狂おしう怪しき心地ぞする。

我らがこれらの惑星を見やるにはあらず。

余はひしひしと感じたり。これらの惑星たちの、我らをしかと見つめたるを。

見守りたるや見張りたるやは知らずも、地球は確かに見られたりける。

地球に起きていることの一部始終、我らの一挙手一投足は、地球から見ゆるすべての惑星から見られたること、ゆめゆめ忘るべからずとこそ。

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2010/08/08

宇宙の96%の物質が正体不明なる衝撃

新聞なんどでは、さらさらに細かき報道も解説もえされざるに、科学界を震撼させたる重大事件なむ、21世紀になりて起こりたる。

おほよそ10年ほど前まで、すなはち20世紀末ころには、物理学なかんづく宇宙論の発展の華々しきさま、我が世の春を謳歌するが如し。

宇宙誕生から1秒の100万分の1秒後までてふ、目も眩むばかりの短き時間のうちに起こりたりけむ諸々なる出来事の詳細、つぶさに見てきたるやうに記述したりけり。

さらには、この宇宙とは異なる別の宇宙の、無数に存在したりて、それぞれに物理法則の違へるなんど、検証も観測も能はざることの、まことしやかにぞ語れる。

A物理学は偉大なる勝利を収め、もはや物理学はなすことの何もなかりける、と豪語する者さへあまたあり。

残るは、相対論と量子論を統合し、さまざまに細分化されたる素粒子どもや、重力なんど4種類の力のすべてを説明することの能ふ大統一理論の発見のみにて、それすらも完成は時間の問題なる、との楽観、学者たちに蔓延したりけり。

物理学者の思ひあがりと自信過剰に、まさかなる暗雲の垂れ込め始めたるは、1998年ころからなるらし。

この宇宙には、科学のゆめゆめ知らざりける正体不明の物質(暗黒物質と呼べり)や、正体不明のエネルギー(暗黒エネルギーと呼べり)の、すこぶるあまた存在するらしきこと、やうやうに明らかになりたる。

そは2003年ころには、たれの目にも疑ふことなき問題となりて露呈されり。

今日までに判明せるところにては、この宇宙を構成せる22%が暗黒物質なりて、さらに74%が暗黒エネルギー、物理学の把握せる通常の物質・エネルギーは4%に過ぎぬとぞ。(円グラフは、3D円グラフ作成サイトにて作りたり)

しかも、通常物質の半分は、行方不明の状態なるとや。

宇宙の誕生から現在の姿まで、世界の様相のほぼすべてを解明し尽くしたり、と誇らかに胸張りたりける物理学は、はつかに2%の物質・エネルギーのみぞ研究対象にして来たるに過ぎざる。

宇宙を構成せる98%が分からぬなるは、ほとほと何も分からぬに等しくはなきや。

こは、お釈迦様の手のひらにて、世界を制覇せりと叫ぶに異ならずして、あさましきさま、云ふもさらなり。

世界中の科学者たちの、躍起になりて暗黒物質と暗黒エネルギーの正体解明せむとするも、捉ふることも観測することも、え出来ずして、手がかりなき謎の前に物理学全体の立ちすくめるが、いまの状況なるとぞ。

この解明こそ、物理学のみならず、科学界全体の直面せる21世紀最大の課題なるらめ。

孔子曰く。「知らざるを知らずと為せ。これ知るなり」と。

科学は、空威張りを捨て、己の知らざるを、直視すべきならずや。

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2008/12/31

2008年が暮れて、宵の空には月と金星

0812312008年の大晦日が暮れていく。

日没の後、太陽が沈んだのに、すべてのものがまだ残光に照らされている僅かな時間帯を、マジックアワーと呼び、最も美しい時間帯なのだそうだ。

僕はこの呼び方を、三谷幸喜監督の『ザ・マジックアワー』の冒頭で初めて知った。

今日の大晦日。今年最後の日没の直後に、外を見たら、空も地上も、これぞまさしくマジックアワーではないか。

しかも、一つの視界の中に、右下には富士山のシルエットがくっきりと映り、左の上には三日月とランデブーする金星の輝きが(写真)。

大晦日のマジックアワーが作り出したこの不思議な光景は、新しい年への予兆のように見える。

それは、明るい2009年への予知なのか、暗い2009年への予知なのか。神のみぞ知ることであろう。

0812312写真の下は、上の写真の月と金星の部分だけをクローズアップしたものである。

金星は現在、宵の明星として、太陽からの見かけの位置をどんどん東に離れていて、1月15日に離隔47度07分の東方最大離隔となり、その時点での光度はマイナス4.4等。

その後、太陽からの角度は縮まっていくが、光度はさらに明るくなっていって、2月20日には最大光度のマイナス4.6等になる。

2009年まであと数時間。新しい年が、日本の経済と社会にとって、かつてなく厳しい年となることは疑う余地はないであろう。

雇用の崩壊、年金・医療の崩壊、消費の崩壊、政治の崩壊、文化の崩壊、未来の崩壊。

そんな中で、日本にはマジックアワーが訪れることがあるのだろうか。

せめて、一人一人の心の中だけでも、マジックアワーのような輝ける時を持ちたいものだ。

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2007/05/20

宵の西空に寄り添う三日月と金星

070520_22021_1すっきりと晴れ渡った宵の西空に、三日月と金星が寄り添うように並んで、ひときわ輝きを増していた。

これを、まずはケータイで写真に収める。

地平線をはさむ地上の光景は入るものの、かんじんの三日月が小さすぎて、形がはっきりとは写らない。

そこで、デジカメでズームにして、こんどは地上の光景抜きで、三日月と金星だけをアップで写してみる。

あいにくとデジカメが充電切れになっていて、とりあえず充電しているうちに、日はとっぷりと暮れて暗くなった。

070520_1922222それでもなんとか月が沈む前に間に合って、三日月らしい姿が撮れた。

天文年鑑を見ると、三日月と金星が最も接近する形になったのは今日の午前10時12分とあるが、月は東の地平線からようやく昇ったあたりで、明るいために見えなかったのではないかと想像する。

ということは、やはり今日の日没直後に見るのが最適で、月が少し東側に移動しているとはいえ、かなりの接近度で迫力がある。

次にこのような光景となるのは、1カ月後の6月18日で、この時には金星が9日に光度マイナス4.3等という明るさで太陽から最も東に離れた(東方最大離角)直後だけに、さぞや見ごたえのある宵空となるであろう。

ただ心配は、そのころは梅雨に入っていて、晴れるかどうかは心もとない。

ちなみに、金星は太陽の周りを225日かけて一周しているが、地球も金星の後を追いかける形で太陽を回っているため、地球と金星の相対的な位置関係はほぼ1年7カ月という周期で繰り返される。

前回、宵の明星として西の空に輝いたのは、05年の晩秋から暮れにかけてで、僕のブログではその年の11月8日と、12月5日に月と金星のランデブーとして、写真とともに書いている。

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2006/12/11

天文年鑑からようやく神武紀元が消えた

061211_1540_1毎年、黄色くなったイチョウの葉が寒風に散って、歩道に散乱する時期になると、僕は新しい年の天文年鑑を買わなければ、と思い出す。

今年は、秋が暖かかったためにイチョウの黄葉がいつもより遅く、僕が天文年鑑のことを思い出したのは、12月も10日になってからだった。

新しく買ってきた2007年版の天文年鑑をパラパラとめくって見て、一つの重大な「異変」があることに気づいた。

それは‥

天文年鑑の冒頭には、「展望」と題するページがあって、新しい年が暦の上でどういう年であるかについての記述があり、その1年の間に起こる主な天体イベントなどを紹介している。

その展望の書き出しにはこれまで恒例のように、西暦年数と干支、平成の年数、日本紀元による年数、さらに明治・大正・昭和の年号を通算した数字が書かれていた。

例えば、21世紀最初の天文年鑑である2001年版では、「2001年の年の干支は、辛巳(かのとみ)であり、平成13年、日本紀元2661年、明治134年、大正90年、昭和76年にあたり、平年である」というぐあいだ。

ここで、物議をかもしてきたのが日本紀元を書くことの是非である。

科学書である天文年鑑が、神話上の存在である神武天皇の即位から始まる日本紀元を、毎年のように冒頭に表記することは、妥当なのだろうか、という疑問が当然出てくる。

こうした批判があることを編集側でも十分意識していたようで、2004年の天文年鑑では、この箇所に続けて、「ここで、神武紀元年数という反動的な文言を嫌う向きもあるが」として、現行のグレゴリオ暦の根拠となっているのは明治5年の詔勅であることを説明。日本紀元を書く必要があることを強調している。

2005年の天文年鑑も、前年と同じ釈明文が書かれているが、2006年版になると、「日本紀元」という遠慮がちな言い方をやめて、ストレートに「神武天皇即位紀元」と表記し、その理由については次のように強い調子で言い切っている。

「西暦2006年は平成18年で、明治139年、大正95年、昭和81年にあたる。神武天皇即位紀元では2666年になる。神武紀元という非科学的なものを科学書に載せることに批判の声もあるが、どの年が閏年になるかを定める勅令(明治31年勅令第90号)が神武天皇即位紀元数を基準にしているため、この年数が分からないと法的には今年が平年か閏年かを判断できないのである」

神武天皇即位紀元が分からなければ閏年かどうかが判断できない、という詭弁とも思える論法については、僕の去年11月26日のこのブログで書いているので、今回は詳しくは触れない。

2006年版のこの記述について、どのような反響が寄せられたのかは知るすべもないが、昨日買ってきた2007年版の「展望」では、創刊以来、半世紀以上に渡って書いていた「日本紀元」も2006年版の「神武天皇即位紀元」も、姿を消している。

それとともに、明治・大正・昭和からの通算元号もきれいさっぱり消えてしまって、このくだりは次のような超シンプルな記述になった。

「西暦2007年(平成19年)は平年で、年の干支は丁亥(ひのとい、ていがい)である」

これで十分ではないか。なぜ今まで1949年の創刊以来、神武紀元にこだわり続けてきたのか、むしろ不思議な気がする。

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